20年前学过的短文。近日怀旧,又重新听了一遍。当年是午饭后听甘肃广播讲座学习的。午休时只能在学习中打个盹儿。当初对芥川龙之介的《蜘蛛丝》的理解是,人不仅要做善事,还不能有恶念。现再加一层理解,作品旨在对人性的“恶”的披露,地狱的人们为了争先恐后顺着蛛丝爬到极乐世界,最后由于蛛丝撑不住太多人的重量而断裂,从来表现了人性的自私。
蜘蛛の糸
芥川龍之介
一
ある日の事でございます。お釈迦様は極楽の蓮池のふちを、一人でぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いているハスの花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蘂からは、何とも云えない良いにおいが、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極楽は丁度朝なのでございましょう。
やがてお釈迦様はその池のふちに御佇(おおたず)みになって、水の面を蔽(おお)っている蓮の葉の間から、ふと下の様子をご覧になりました。この極楽の蓮池の下は、丁度地獄の底に当って入りますから。水晶のような水を透き徹して、三途の川や針の山の景色が、丁度覗き眼鏡を見るように、はっきり見えるのでございます。
するとその地獄の底に、犍陀多と云う男が一人、ほかに罪人と一緒に蠢いている姿が、お目に止まりました。この犍陀多と云う男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を動いたおい泥坊でございますが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛が一匹、路ばたを這(は)っていくのが見えました。そこで犍陀多は早速足を上げて、踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや これも小さいながら、命のあるものに違いない、この命を無暗にとうと言う事は、いくらなんでも可哀そうだ」と、急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやったからでございます。
お釈迦様は地獄の容子をご覧になりながら、この犍陀多には蜘蛛を助けたことがあるのを御思い出しになりました。そうしてそれだけの善い事をした報(むく)いには、できるなら、この男を地獄から救いでしてやろうとお考えになりました。幸い、側を見ますと、翡翠のような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけていります。お釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮の間から、遥(はる)か下にある地獄の底へ、まっすぐにそれを御下ろしなさいました。
二
こちらは地獄の底の血の池で、ほかの罪人と一緒に、浮いたり沈んだりいた犍陀多でございます。何しろどちらを見ても、真っ暗で、たまにそのくら暗からぼんやり浮き上げっているものがあると思いますと、それは恐ろしい針の山の針が光るのでございますから、その心細さといったらございません。その上あたりは墓の中のようにしんと静まり返って、たまに聞こえるものと言っては、ただ罪人がつく微かな嘆息ばかりでございます。これはここへ落ちてくるほどの人間は、もうさまざまな地獄の責め苦に疲れ疲れはてて、泣声を出す力さえなくなっているのでございましょう。ですからさすが大泥坊の犍陀多も、ヤハリ血の池の血に咽びながら、まるで死に掛かった蛙のように、ただもがいてばかりいりました。
ところがあるときの事でございます。何気なく犍陀多が頭を挙げて、血の池の空を眺めますと、そのひっそりとした闇の中を、遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛の糸が、まるで人目にかかるのを恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると自分の上へ垂れて参るのではございませんか。犍陀多はこれを見ると、思わず手を打って、喜びました。この糸に縋りついて、どこまでも上っていけば、きっと地獄から抜け出せるのに相違ございません。いや、うまくいくと、極楽へ入る事さえも出来ましょう。そうすれば、もう針の山へ追い上げられることもなくなれば、血の池に沈められることもあるはずはございません。
こう思いましたかあら犍陀多は、早速その蜘蛛の糸を両手でしっかりとつかみながら、一生懸命に上へ上へとたぐり登り始めました。元より大泥棒の事でございますから、こう云うことには昔から、慣れきっているのでございます。
しかし地獄と極楽との間は、何万里となくございますから、いくら焦ってみたところで、容易に上へは出られません。ややしばらく上るうちに、とうとう犍陀多もくたびれて、もう一たぐりも上へは登れなくなってしました。そこで仕方がございませんから、まず一休み休むつもりで、糸の途中にぶらおりながら、遥かに目の下を見下ろしました。
すると、一生懸命に登った甲斐があって、さっきまで自分がいた血の池は、今ではもう闇の底いつの間にかかくれていります、それからあのぼんやり光っている恐ろしい針の山も、足の下になってしまいました。この分で登っていけば、地獄から抜け出すのも、存外わけがないかもしれません。犍陀多は両手を蜘蛛の糸にからみながら、ここへ来てから何年にも出した事のない声で、「しめた、しめた」と笑いしました。ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下には、数限りもない罪人たちが、自分の登った後をつけて、まるで蟻の行列のように、ヤハリ上へ上へ一心によじ登って来るではございませんか。犍陀多はこれを見ると、驚いたのと恐ろしいのとで、しばらくはただ、莫迦のように大きな口を開いたまま、目ばがり動かしていりました。自分一人でさえ折れそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数の重みに耐える事が出来ましょう。もし万一途中で折れたと致しましたから、折角ここへまで登ってきたこの肝心な自分でも、元に地獄へ逆落としに落ちてしまわなければなりません、そんな事あったら、大変でございます。が、そういう中にも、罪人たちは何百人となく何千人となく、真っ暗な血の池の底から、うようよと這い登って、細く光っている蜘蛛の糸を、一列になりながら、せっせと登って参ります。今の那加にどうかしなければ、糸は真ん中から二つに折れて、落ちてしまうのに違いありません。
そこで、犍陀多は大きな声を出して、「こら、罪人ども、この蜘蛛の糸は折れのものだぞ、お前たちは一体誰に聞いて、登ってきた。下りろ、下りろ。」と喚きました。
その途端でございます、今までなんともなかった蜘蛛の糸が、急に犍陀多のぶら下っているところから、ぶつりと音を出てて切れました。ですから犍陀多もたまりません。あっという間もなく風を切って、独楽のようにくるくる回りながら、見る見る中に闇の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。
後にはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空に途中に、短く垂れているばかりでございます。
三
お釈迦様は極楽の蓮池のふちに立って、この一部始終をじっと見ていらっしゃいましたが、
やがて犍陀多が血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうなお顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。自分ばかり地獄から抜け出そうとする、犍陀多の無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰を受けて、元の地獄へ落ちてしまったのが、お釈迦様のお目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。
しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着いたしません、その玉のような白い花は、お釈迦様の御足のまわりに、ゆらゆら萼を動かして、その真ん中のある金色の蕊からは、何もいえない良い匂いが、絶え間なくあたりへ溢れていります。極楽ももう昼に近くなったのでございましょう
蜘蛛丝
芥川龙之介
一
一天,佛祖释迦穆尼独自漫步于极乐世界的莲花池畔。池中绽放的朵朵莲花洁白如玉,花心的金蕊赏心悦目,从中散发出的宜人芳香弥漫周遭。此时的极乐世界恰是清晨时分。
佛祖伫立池边,无意之中,从覆盖着水面的莲叶间隙看到了下界的情景。莲池之下正是十八层地狱的底部,透过水晶般的池水,三途河①与针山②的景象如水镜中的场景一般清晰可见。
此时,一个叫做犍陀多的人和其他罪人挤在一起蠕动的场面映入佛祖的眼帘。佛祖知道这犍陀多虽然是个杀人放火、无恶不作的大盗,却也干过一件善事。话说一次,犍陀多穿过森林时见路旁有一只蜘蛛在爬行,于是抬起脚来欲将之踩死,可转念一想:不可,不可。蜘蛛虽小也是一条性命,随意杀之岂不罪过。想罢,最终放了蜘蛛一条生路。
佛祖注视着地狱的景象,同时也想起犍陀多曾放生蜘蛛一事,于是琢磨着对他那唯一的一次善举给与回报,寻机使之脱离地狱。恰巧看见旁边翡翠般的莲叶上有一只极乐世界的蜘蛛在拉丝,佛祖轻轻取过蛛丝,自洁白如玉的莲花间隙径直将蛛丝向遥远的地狱放下去。
二
在地狱的血池里,犍陀多同罪人们沉浮其间。四周一片漆黑,若偶尔在黑暗中有些许光亮闪现,也只是针山的反射,煞是瘆人。而且四周如墓穴一般寂静,间或听到一些声音,也唯有罪人们的呻吟,因为坠入此处的人饱受形形色色地狱之苦,已没有了哭泣的力气。故此,就连犍陀多这江洋大盗也只能呛着血池中的污血,如濒死的蛤蟆一般残喘挣扎。
一次,犍陀多不经意间仰望血池上空,发现幽暗之中,有一根银色的蜘蛛丝,畏缩地反射着微光自遥远的上空向着他的头顶坠下来。犍陀多一见,情不自禁地击掌欢呼,心想:若是攀着这蛛丝可随意而上的话,定能脱离苦海。不!弄得好或许还能去极乐世界,若果真如此,既可免遭逐上针山,也可逃离血池。
主意已定,犍陀多迅速双手紧紧抓住蛛丝,开始拼命向上攀爬。原本是盗贼出身,攀索自是他的拿手好戏。
然而地狱与极乐世界之间相距数万里,即便心急也不会轻易到达的。攀爬了一会儿,犍陀多终于疲惫不堪,已无捯手之力。于是,无奈之下,暂作休息,他悬在蛛丝上向遥远的下方眺望。
一望才知自己攀爬的成果有多么显著,方才置身的血池,眼下已隐没在黑暗之中,而且那令人恐怖的针山也已远远地抛在脚下。若依此势头爬上去的话,逃离地狱似乎为时不远了。犍陀多双手缠绕着蛛丝,嘴里发出久违的欢笑声:“妙哉!妙哉!”然而同时他也突然发现这蛛丝的下方有无数的罪人紧随其后攀爬上来,那行列有如蚂蚁的队列。见此情景,不知是因为惊讶,抑或是因为恐慌,犍陀多如痴呆一般张着大嘴,唯有眼珠在转动,心想:这细细的蛛丝勉强能承受我一人的体重,如何能负担如此多人的重量?我是何等宝贵!如今好不容易爬到这里,万一蛛丝绷断,岂不是要和这些罪人一起跌回到地狱中去?若果真如此,后果不堪设想。然而,就在他胡思乱想之际,依然有成百上千的罪人蠕动着从血池中爬起来,纷纷攀上这纤细光亮的蛛丝,并排成一行拼命向上攀爬。如果此时不设法阻止,蛛丝定会一断两截,自己将坠回地狱。
想罢,他大声吼道:“呔!罪人们听着,这蛛丝可是我的,谁让你们爬上来的?快给我滚下去!滚下去!”
这一吼不要紧,一直安然无恙的蛛丝突然从他攀爬的地方“嘭”地一声断开。于是犍陀多也完蛋了,只见他风驰电掣,有如旋转的陀螺一般,转眼之间一头栽回到黑暗的地狱里。
身后唯余半截细细的蛛丝悬在既无月亮也无星星的半空,一闪一闪地反射着微光。
三
佛祖伫立池畔目睹了这一切,待到犍陀多如顽石一般沉入血池之底,佛祖形容悲悯,径自漫步而去。犍陀多只想自己脱离苦海,没有一丝慈悲之心,再次跌入地狱是他应得的报应。在佛祖看来,这确是一件令其感到可悲的事情。
然而,这一切之于极乐世界的莲花自然是毫无意义的。在佛祖的脚边,莲花洁白如玉,花萼随风摇曳,从花心的金蕊中不断散发出宜人芳香,弥漫周遭。此时极乐世界已近晌午。
(一九一八年四月十六日)
芥川龍之介は、1892年東京生まれ。中、高等学校の時は漢文が得意な秀才で、東京帝国大学英文学科に入学。卒業後に発表した「芋粥」が注目され、新進作家としての地位を確立した。代表作は「鼻」、「蜘蛛の糸」、「羅生門」など。1927年服毒自殺。35歳だった。
芥川龍之介,1892年生于东京。初中、高中时擅长汉文,后升入东京帝国大学(东大)英文科。毕业后他发表了《芋粥》,受到瞩目,确立了其新兴作家的地位。代表作有《鼻子》、《蜘蛛丝》、《罗生门》等。1927年服毒自杀,终年35岁。