东京回顾写真展 东京回顾写真展翻译 综合日语教程第六册第五课

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综合日语教程第六册第五课 东京回顾展

小池真理子

现在我正乘在与市中心方向相反的电车上,冷气强劲的车厢内,乘客寥寥无几。

没想到刚出了梅,就开始了将近三十五度的连续高温天气。虽然看上去像是退了色的浑浊色彩,今天东京却是万里无云。阳光强烈,可能是因为这个缘故,车窗外流动的景色鲜艳得不自然,看上去就像是强光灯照射下的舞台布景。

眼下要去见的人,为什么如此将我紧紧抓不放,不得而知。见面后怎么办,我多次问自己。说些什么,问些什么,又想让他对我说些什么?

到了郊外的一个小站,有几个乘客下了车。在打开的车门对面,沿铁道大批盛开的向日葵清晰可见。一位走出月台的四十多岁的妇人,面向向日葵,用力打开了一把白色阳伞。 下一个车站重复着同样的情景,再下一个车站也是一样,再下下一个车站也是如此。

不过,新上车的乘客越来越少,乘客只是下车,当我察觉到时,车厢里连我在内只剩下几个人了。

尽管如此,电车仍在夏日的阳光中继续奔驰着。

这是发生在将近一个月前,一个星期四的事。

我工作的学校因校庆而休息。虽然是雨天,到了下午我去了涉谷,因为我想,无论如何也要给关照过我们的医生送上一点略表心意的礼品。

那是黎明时分,丈夫突然感到胸闷,说不出话来,我们的私人医生毫不厌烦地替他诊断,说是因为太累而出现的脉搏紊乱,还说不用担心,给他开了安定剂的处方。当我们为一大早就敲门将他叫起来而道歉时,医生说反正打高尔夫球也要早起的,说着爽朗地笑了起来。 与那位医生亲密起来,大约是在三年前。本来身体就不太好的丈夫,在病情加重而频繁就医的过程中,因闲聊而变得说话投机起来,也许是彼此同样年纪,比较随便的缘故吧,从那以来一直受到优先就诊的待遇。

由于相当喜欢高尔夫,我拿在手里的只有两样东西——听诊器和高尔夫球。他说了这些话就笑了起来。礼品事前就决定了。我走到百货商店的男子服装部,请服务员包了一件黄绿色的打高尔夫球用的短袖开领衫。

也许只有在这样的时候,平时反复欠下人情的熟人的脸才会一个个浮现出来。想起了熟人曾送过新茶,虽然仅仅在电话上表示了感谢,但再没做什么;再一想,又连锁反应似的想起,不久以前因结婚而辞职了的年轻女同事,从旅行结婚的目的地米兰带回了漂亮的纱巾。 我在一所从初中到大专一贯制的女子中学任职,要说的话,并不是教师,学校里另外建有一栋很大的图书馆大楼,我是在那里工作的学校图书管理员。

由于平时过着与豪华无缘的生活,来到久违了的街上,就想买点什么喜欢的东西,但因为不知道买什么好而不知所措。从百货商店的地下一层到地上六层,反复走了两次,当决定给熟人买老字号点心店的羊羹,给女同事送清澈晶莹的小花瓶时,时间已过了下午三点。

虽然这是在星期日以外得到的一个宝贵的休息日,但总觉得有一种被什么杂事追到底似的,近似焦虑的心情在催逼着。付完款、办完送货手续后,我走出百货商店,朝着车站前的大型书店走去。

当图书管理员,早在二十年前就开始了。每天过着整天被图书围绕着生活,那一天休息却去逛书店是大可不必的,谁都会这样说。注视着新出版的书籍,将其中几本拿在手中,翻了翻

书页,接着又走到以作家分类的书架上,大略看了看。小说、纪实文学、袖珍本、评论集、诗歌集、全集„„依次在书店转一圈,没有一个小时是完成不了的。那是我的一个小小的、不可或缺的乐趣。

有时,也有长久寻找而不遇的书,这样的书不去旧书店是无法弄到手的,只能靠偶尔的巧遇。这是由于,不知出版社是跟的什么风,旧书重印的出版物多了起来的缘故。用嗜书的快乐一言以蔽之,也许会让人生气,可是与这样的书相遇,还是不能不让人感到快乐。

这一天也是一样,很久以前就想得到的,但不知什么时候就见不到了的厚厚的英国翻译小说的重印本,就在新版书书架的角落里放着。

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一旦拿到手,就无论如何想要买下。上下卷合计七千六百日元,如果将其归入学校图书馆待购目录中的话,我想毫无问题会被受理的,但是,图书馆的书,归根结底是图书馆的书,不是私人物品。

虽然觉得书价有点贵,可是我还是将书拿在手里,排起了队。

那时,如果收款处是个老手的话,就会麻利地应对一切,我的生涯中也许不会再有如此栩栩如生的记忆了。即使作为偶然回想起来的事,记忆也一定会逐渐变得模糊不清,失去轮廓,肯定会变得无法区别,这是现实中存在的事情,还是只不过是梦中见到的事情。而且不久就会变成与年轻时成千上万的冥思苦想一样,只应被封闭在小箱子里,贴上封条了事。

但是接待我的那位女店员,看来是一位新入职不太久的生手,啊,或许还是个打工的学生呢。她不仅将书款算错,而且还在套上书皮时,弄出不少褶子,不得不重做。

女店员红着脸,对我说对不起,而且重复了好几遍,显得极为紧张的样子。

我对她看着,有点可怜她。一边对她的失态装作毫无察觉,一边心不在焉地朝柜台上摆着的东西望去。

各种东西映入眼帘:书签、英语会话教材的广告小册子、明星签名的随笔集、刚发行的面向中老年的月刊杂志„„

摄影展的折扣入场券,被放在柜台的一角,我想是扎成一束,插在塑料的、没有什么与众不同的、圆筒形的笔筒那样的容器里。

容器上贴着“请随便取用”字样的纸条,贴纸条的透明胶带已经剥落了一半,剥落部分沾着不知是灰尘还是手汗的污垢。

也没有什么特别的理由,我抽出一张看了看,上面印着“东京回顾摄影展——过去的盛宴”。 摄影师的名字为小寺行秀,既没听说过,也没见过,是我所不知道的名字。

由全国连锁点主持,这家大型书店赞助,似乎要举行两周。一看日期,这一天是最后一天。 “这个,我拿一张。”

我一边收下套上书皮的书,一边对年轻的女店员说。她只说了声“请”,便早就从下一个顾客手里收下几册书,开始计算起书价来,一副高高在上的样子。

東京回顧写真展

小池真理子

私は今、都心とは反対方向かう電車にん乗っている。冷房の効いた車内に、乗客は疎らである。

梅雨が明けたと思ったら、連日三十五度近くまで気温が上がる猛暑が始まった。白茶けたような濁った色を見せているものの、今日も東京の空には雲ひとつない。日差しは強く、そのせいが、窓の外を流れる景色は不自然に鮮やかで、強すぎるライトを浴びた舞台の書き割りのように見える。

これから会いに行こうとしている人物が、何故、これほど私をとらえてやまないのか、分からない。会ってどうする、と何度も自問してみた。何を話すのか。何を聞いてもらいたいのか、何を言ってもらいたいのか。

答えは出なかった。話したいことは何もなかった。聞かせたいことも、言ってもらいことも何ひとつなかった。私はただ、その人に会いたいと思っているだけだった。

郊外の小さな駅に着き、幾人かの乗客が降りて行った。開いた扉の向こうに、線路に沿って咲き乱れる夥しい数の向日葵の花が見えた。プラットホームを去って行く初老の婦人が、向日葵に向かって勢いよく白いパラソルを開いた。

次の駅でも似たような光景が繰り返された。その次の駅でも。またさらにその次の駅でも。 だが、新たに乗ってくる乗客は少なくなっていった。客は降りていくだけで、気がつくと車両には、私を含め数人しか残っていない。

„„それでも電車は夏の光の中を走り続けている。

一ヶ月ほど前の木曜日のことである。

勤め先の学校が創立記念日で休みになり、雨の日だったが、午後になってから私は渋谷まで出かけた。世話になった医師に、どうしても心ばかりの礼の品物を贈っておきたかったからである。

明け方になって、夫が急に胸が苦しいといい出した時、その開業医がいやな顔ひとつせずに診てくれた。疲れからくる不整脈だろう、心配いらないと言われ、精神安定剤を処方された。早朝からたたき起こしてしまったから、と言って豪快に笑った。

その医師と親しくなったのは三年ほど前。もとより身体があまり丈夫ではない夫が、具合が悪くなったといっては通いつめているうちに、世間話に興じるようになった。同世代同士の気安いさが、以来、何かというと優先的に診てもらえるようになった。

七里のゴルフ好きで、僕が手にするものは二つしかない、聴診器かゴルフクラブだ、などと言っては笑わせてくれる。贈るものはあらかじめ決めてあった。私はデパートの紳士服売り場に行き、ゴルフウエア用の萌黄色のポロシャツを包んでもらった。

そういう時に限って、日頃、不義理を重ねている知人の顔が次々に頭に浮かぶものなのかもしれない。知人から新茶を送ってもらい、電話で礼を言ったものの、そのままになっていたことを思い出したり、新婚旅行先のミラノで美しいスカーフを土産に買ってきてくれたことを連鎖反応式に思い出したりした。

私は、中学校から短大までそろった私立の女子校に勤めている。と言っても、教師ではない。学校に別棟になっている大きな図書館が建っていて、私はそこで働く学校司書である。 日頃、華やいだものとは無縁の生活を送っているせいか、久しぶりに町に出て、何か気のきいた物を買おうとすると、何にすればいいのかわからず、途方に暮れる。デパートを地下一階から地上六階まで、二度も往復し、知人に老舗の和菓子屋の水羊羹、同僚の女性には涼しげな一輪差しを贈ることに決めた時、すでに時刻を回っていた。

日曜日以外で休みがとれた貴重な一日だというのに、何やら雑事瑣事に追われて終わってしまいそうな焦りにも似た気持ちにかりたてられた。品物の支払いと発送手続きをすませると、私はデパートを出て、駅前にある大型書店へ向かった。

司書になってから、早くも二十年たっている。毎日毎日、図書館で本をに困れた生活をしていながら、何も休みの日に書店めぐりをしなくてもよさそうなものだ、と誰もが言う。新刊書を眺め、そのうちの何冊かを手に取ってはページをめくり、次に作家別に並べられた棚を一通り見て歩く。小説、ノンフィクション、文庫書、評論、詩歌、全集„„順番に店中を一巡するのに、一時間ですんだためしはない。それは、私のささやかな、欠かすことのできない楽しみの一つであった。

時には、長い間探していた本、古書店を回る以外、手に入れる方法が見つからなくなってしまった本と不意にめぐり合いこともあった。どういう風向きなのか、出版社が古い本を復刻版として出してくれることが多くなったせいである。本好きの快楽、と一言で言い切るのも癪なのだが、そんな本と出会うとやはり、快楽を感じないではいられない。

その日も同じだった。ずいぶん前からほしいと思っていて、いつのまにか見かけなくなってしまった厚手でのイギリスの翻訳小説が、復刻版として新刊コーナーの片隅に並んでいた。

少々、値段が張るのを気にしつつも、私は本を手にレジに並んだ。

あの時、レジカウンターにいた女店員がベテランで、きびきびした応対をしてくれていたら、私は生涯、二度と、あの記憶をこれほど生々しく甦らせることはなかったかもしれない。たまに掘り返してみることはあっても、記憶は次第にぼんやりと輪郭を失って定かではなくなり、現実にあったことなのか、夢に見たことにすぎないのか、区別がつかなくなっていったいに違いのだ。そして、やがては若かったころの幾千幾万の苦しい思い出と共に、小箱の中に閉じ込め、封印してしまうこともできたはずなのである。

だが、私の応対に当たったその女店員は、入店して間もないと思われる新米だった。いや、ひょっとすると、学生アルバイトだったのかもしれない。彼女は代金の計算を間違えたばかりではなく、ブックカバーをかけようとしたときに不要な折り目をつけてしまい、やり直さねばならなくなった。

女店員は、顔を赤らめながら、私に向かって何度も「すみません」と繰り返した。極度に緊張している様子だった。

正視するのは気の毒だった。私は彼女の失態に気つかなかった不利をしながら、ぼんやりとレジカウンターに並べられているものを眺めていた。

いろいろなものが目に入った。栞、英会話教材の広告パンフレット、タレントの署名入りのエッセイ集、発売されたばかりの中高年向け月刊誌„„。

写真展の割り引き入場券は、カウンターン片隅に置かれていた。プラスチックの、何のン変哲もない円筒形の筆立てのようなものに、束になって押し込まれていただけだったと思う。

入れ物には「ご自由に御取りください」と書かれた紙が貼ってあった。紙を貼り付けてあるセルハンテープ半分剥がれ、剥がれ部分には埃とも手垢ともつかない汚れが着きしていた。 何故という理由もなく、私は一枚、引き抜いてみた。(東京回顧写真展 過ぎ去りし宴)とあった。

写真家の名は小寺行秀。開いたことも見たこともない、私の知らない名前だった。

全国にチエ―ン店を持つ、その大型書店の協賛で、二週間にわたって開かれていたらしい。日付くを見ると、その日が最終日だった。

「これ、いただいていきますよ」

カバーをかけ終えた本を受け取りながら、私は若い女店員に言った。彼女は「同素」と言ったが、早くも次の客から数冊の本を手渡され、代金の計算をし始めていて、上の空だった。


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